8/22/2023

ヒントでピント 2

ヒントを出す難しさは痛感している。

自分にしかわからない感覚に近いものがあるからだと思う。

だから、どれだけ丁寧に解説・説明してもほぼほぼ伝わらない。


私が教えることを拒否している一面がここにある。

私に言わせれば、ヒントを与えるのと教えるのとは違う。


ヒントを生かすも殺すもその人次第。

そして何がヒントになるかもその人次第。

ある人にとっては何の役にも立たないことが別の人にとってはヒントに変わるかもしれない。


それでもまだピンとこない人もいると思う。

こうした人々は2通りに分かれると勝手に考えている。


1つはそもそもできちゃう人。

そしてもう1つは圧倒的に知識が足りない人だ。


後者はとにかく答えを知りたがる。

が、ここでさらに2通りに分かれる。


ヒントを好む人と好まない人だ。

知識がないなりにヒントから答えを導きだそうという姿勢にはまだ救いがある。


ただ答えだけを求めるヤツに未来はない。

そんな学生に絡まれたことは幾度となくあるが、理解しやすいように順序だてて説明しようとすると必ずこう言われた。


「いいから答えだけ教えてくれ」


おそらく順序だてた過程すら理解できていないのだと思う。

答えだけでも知っていれば知ったかぶりができる。


かつての自分がそっちサイドの人間だった。

吐き気がするね。


今なら答えだけ教えちゃうかな。

未来のない輩に割く時間が勿体ないからね。

もうそんなに時間はないんだよ、こっちには。


そんなわけで自分なりのヒントを形にしておこうと思う。

自分のためだけでなく、たぶん誰かのために。

それも伝われば、の話だけど。


そもそもさ、ヒントいります??

7/26/2023

ヒントでピント

それなりに知られた話ではあるが、私にはいわゆる「運動神経」ってヤツが欠如している。

ここでも何度となく披露しているように思う。


そんな私がソフトバレーボールを未だに続けている。

もちろん褒められるプレーはできないが、それなりにスパイクを打ったりする。


このスパイク1つが打てるまで、おそらく人の3~4倍は苦労していると思う。

一般的に人が「できる」と考えられている動作ができないからだ。


カイロプラクティックのテクニックに関しても同じことが言える。

誰もが通ってくる月並みな教え方では全くモノにならないし、モノにすることができない。


これまで様々な先生方の指導を仰いできた。

教わった直後は大変調子が良く、結果も出せる。


だが、そんな日々は数日で終わりを迎える。

考えうる修正を試みるものの失った何かは決して帰ってこない。

このくらいの話なら「カイロプラクターあるある」で、飲み会でのいい肴になる。


ただ、私の場合は身体に出てしまう。

『慣れないことをやっているから』と続けていくも、慣れるどころか激痛に見舞われたりする。

身体からの「悲鳴」だ。


肩、肘、手首からの「悲鳴」を感じながら試行錯誤を続ける。

そのうち「悲鳴」の聞こえない範囲での模索が始まった。

そして今に至っている。


誰にも見せたことはないが、きっと「何それ??」と言われてしまうかもしれない。

セミナー講師陣からは「ダメだ!! そんなやり方」とお𠮟りを受けるに違いない。


そう思いながらも続けている。

一番の理由は自分の身体に負担がかからないから。

そして、力感なくパワーとスピードを生み出せている実感があるからだ。


思えば、私がお世話になった1人のドクター。

彼のサイドポスチャーを初めて目のあたりにした時、それこそ『何それ??』と思った。

『この人のは何の参考にもならんな』とさえ思った。


彼にとってはあのスタイルがベストだったのだろう。

今になって身に染みてわかる。

というより、勝手に背中を押されている気さえする。


ヒントは身近なところに転がっている。

私のように数十年経ってから回収することだってありうる。


月並みではあるが、気づくか気づかないか。

この差は思っている以上に大きい。


続きそうだね…。

つづく。

7/11/2023

愛される理由

ふた昔前は乱立していたカイロプラクティックの学校。

今じゃあ2歳児でも数えられるくらいしか存在しない。


その代わりになるのだろうか、私塾を開いている先生方が増えた肌感がある。

それぞれの形があるとは思うが、テクニックに特化した内容ではないかと想像できる。


おそらく金銭も発生しているのだろう。

仲間内の練習会とは違うはず。


もっとも、金が発生する練習会もたまにあるが…。

以前「来て」と呼ばれて顔を出したら、帰りに請求されたことがある。

『先に行ってくれよ…』と正直思った。


金が発生する以上、責任も発生する。

スゴいと思いますよ、マジで。

私にはそんな責任は持てないね。


そもそも教えられる技量がない。

それ以前に慕われていない。


愛されるのは武器だと思う。

そしてそれは私に圧倒的に足りていない武器だ。


愛されようとは思っている。

ただ、自分をひた隠しにしている奴が愛されようはずがない。


だからこれからは出していくことを考えている。

もういい加減死ぬ歳だ。

出し惜しみしている時間はない。


私の出来ることなんぞたかが知れている。

とは言いながらも、『誰も真似なんかできねぇよ』と信じて疑わない自分もいる。


なので出していく。

それが誰かにとってのヒントくらいになれば…

それくらいで良いと思っている。


「ヒントなんて、教えているのと一緒だ」


そう言われたことがある。

そうなのかもしれない。


ただ、ヒントは気がつくか否かで結果が全く違ってくる。

私にはそれくらいの無責任さが丁度いい。


近々ヒントの一部を紹介する機会を得た。

はてさて、どうなることやら…。