アルバート・アインシュタインの有名な言葉。
「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない」
カイロプラクティックの世界に身を置いてから18年の歳月はとうに過ぎた。
となると、カイロプラクティックに関する偏見があっては不思議ではないのかもしれない。
思い出すのは、ある学生に言われた一言。
『テクニックの違いだけで否定するのは違う』みたいなことを私が言った後だったと思う。
「モトさんだって否定してるじゃないですか!!」
『えっ⁉』
「ネットワーク…」
あの振り子かざして揺れたところにサブラクセーションが…みたいなやつだったっけ。
学生時代に練習会とやらに参加したことはあったが、さっぱり理解できなかった。
『な、何してんの…??』ってな感じで。
確かにね、否定したよ。
しましたよ。
『あんなんカイロプラクティックじゃねぇよ!!』ってね。
そーだなー。
偏見だったのかもなー。
今だったら頭ごなしの否定はしないのかも。
でも、やっぱり個人的にはカイロプラクティックとは認めがたいな。
すまんの。
人は専門的になればなるほど、新しいか古いかに敏感になる。
こだわりすぎると先に進めない。
伝統と伝承の違いに近いかも。
昔からあるものをちゃんと守るのが伝承
その時代の職人が最も新しいことにチャレンジした連続が伝統
つまり伝統とは革新である。
おそらくD.D.は伝承して欲しかったのではないか。
しかしB.J.は伝統とする道を選んだ。
そしてその伝統はいわゆる「ストレート」として伝承されている。
片や「ミキサー」の代表格が「多様性」を意味するディバーシファイド。
多様性が過ぎてもはや原型がわからない。
世にある「○○式カイロプラクティック」は伝承されるのだろうか??
それを見届ける前に泉下の客になっていようぞ、きっと。
カイロプラクティックを学ぶハードルが高くなってしまった日本。
混沌とした険しい道のりかもしれないが、廃れることはないと信じている。
最後は東海道新幹線の切符売り場にあった貼り紙の文言で締めようかな。
「のぞみはありませんが、ひかりはあります」