12/27/2022

2022年の終わりに

今年も無事に終わろうとしている。

コロナはもちろん病気にかからず、アキレス腱も切らずに今日まで来た。


何となくの衝動でリニューアルオープンとなったこのブログ。

何故この忙しい時期に始めたのか??

タイミングは他にいくらでもあっただろうに…。


『しなさい』ブログはそこそこ知られているが、実はそれ以前にもブログを書いていたことがある。

1つのお題で長文を書き殴る、そんなブログ。

思えばあのブログは正月にスタートさせたんだったな。


紅白の1曲1曲に解説をつける内容から始まった。

自分で言うのもなんだが、そこそこ評判が良かったと思う。

何せNHK紅白担当の方からメールをいただけたくらいだったんだから。


紅白ネタは4~5年続けたかな。

そう、あの時は紅白のことを書きたくなったんだ。

だから正月スタートになったわけさ。


今回もやっぱり『書きたくなったから』が一番の理由になるだろう。

あとは周辺からの「書け書け」圧が強く感じられるようになってきたから。

別に圧に屈したわけじゃないけどね。


開設するサイトにはこだわったかな。

前の『しなさい』ブログはいつの間にか変な広告が入るようになってしまった。


うっかりエロったりするとエロエロな広告になってかえってきやがる。

ふざけんなよ。


ということで、無料で広告ナシで、あと独自ドメインが使えるところ。

店舗のサイトや他サイトの間借りも考えた。


が、炎上しない、させない自信がない。

間借りの場合、対処に気を遣うのが面倒に思えた。

んで、却下。


とまあ、いろいろ考えた上でのベストの形がこれである。

しばらくはこのままでいくだろう。


内容に関しては、年内に書くべきお題がいくつかあった。

残念ながら年越しである。


サッカーワールドカップのネタなんて完全に旬を逸するな…。

ま、そんなん誰も気にしねぇか。


そらそうか…。

カイロプラクティックなんてどんだけ旬を逸してきているんかねぇ。


たとえば「旬」イコール「モテ期」だとしたらどうなるのか。

「モテ期」は3回あるとも言われている。

そうなるとおそらく既に2回は見逃していることになるだろう。


これから3回来るとは考えにくいし、もう3回見逃したなんて考えたくもない。

……見逃したっぽいけどな。


なら、もう割り切って前に進むしかない。

年末年始はいいきっかけになる。


結局は「ちゃんとカイロプラクティックしなさい」ってこと。

やることをやって、アンテナも張って、カイロプラクター同士で繋がっていこう。

大切なのは、身勝手に利用しないこと。


では、Happy Holidays!!

12/20/2022

MEIGEN de カイロプラクティック

サッカーワールドカップカタール大会はアルゼンチンの優勝でその幕を閉じた。

日本は今回もベスト16にて敗退。


クロアチア戦は延長戦まで観戦し、PK戦になった時点でテレビを消した。

PK戦は嫌いなので。


こうした大会の後、多くの何様かによって批判が展開されるのはもはや世の常。

そんなモノ胸糞悪くなるだけで何の価値もない。


それとは別に1つの言葉が乱発される。

これも世の常。

 

それが「努力」。


私の嫌いな言葉。

理由は、あまりにも簡単かつ気軽に用いられてしまうから。


何かにおいて結果が伴わなかったとする。

本人は努力したつもりでも、第三者からは「努力が足りないからだ」と言われてしまう。


一人称の「努力」と三人称の「努力」。

ここに大きな隔たりが生じると苛立ちとモヤモヤが募ってくる。


三人称はコントロールできない。

一人称を極めていくしかない。


その究極を言葉にしたモノがいくつかある。


王貞治・福岡ソフトバンクホークス会長の言葉

「報われない努力があるというなら、それはまだ努力とは呼べない」


ブラジルサッカー界の至宝、ネイマール選手の言葉

「努力したから報われたんじゃない。報われるまで努力したんだ」


「はじめの一歩」鴨川源二会長の言葉

「努力した者が全て報われるとは限らん。

 しかし!成功した者は皆すべからく努力しておる!!」


一人称と三人称の「努力」が合致を見たとき、ある種の成功と言えるのかもしれない。

ならば、そこで満足感は得られるのだろうか??


カイロプラクターにはアーティストという側面がある。

アーティストが満足してしまったら、そこでオシマイ。


『アジャストメントは常に最高の未完成』というのは私の有名な言葉。

未完成だけに満足することはない。

一生モンの仕事だ。


よしっ、一生努力を続けよう。

そんな昂ぶりを覚えた人たちに、この言葉を贈る。


アメリカの作家、エルバート・ハバードの言葉

「天才とは、ただ、努力の継続をできる人のことをいう」


さあ、カイロプラクターよ、天才を目指せ!!

私の分までっ!!


言っただろう??

「努力」は嫌いだって⁉


ふふ。

12/13/2022

A Chiropractor on YouTube

大阪の眞﨑龍介先生から依頼を受けた。

YouTubeで展開されている「週刊カイロプラクティック」への出演に関してである。

 

前もって科学新聞社の齋藤サンから話は聞いていた。

詳しいことはわからないまでも断る理由も見つからなそうなので受諾したわけだ。


とはいうものの、どうしたらいいのか??

参考のためバックナンバーを視聴してみた。


2名の先生のを拝見して視聴を停止。

同調できる部分が少なくなく、これ以上見ると思考が引っ張られそうな感覚に陥ったからだ。


同じことを喋っても面白くない。

眞﨑先生からアウトラインとなるテンプレートを送っていただき、それなりの答えを用意しておいた。


眞﨑先生は私が以前書いていた『しなさい』ブログがお気に入りとのことで

「お聞きしたいことがたくさんあるんですよ!!」

とおっしゃっていた。

 

 『なら何となくいけるかな…』


そう思う一方で、5年以上前に書いた内容と違うこと言ったらどうしよう…といった不安がないわけでもなかった。

そんな中、半ばぶっつけ本番で行われた収録は勢いそのままの形で終了。


後日、編集されたビデオを確認させてもらった。

録音された自分の声が奇妙に聞こえるのと同様、動く自分など好んでみたいとは思わない。

が、見ないわけにはいかない。


腹をくくって見たビデオ。

内容以前に気になってしまう点が多過ぎる。


喋り言葉は『だけど』『個人的には』のオンパレード。

身体は終始グラグラ揺れっぱなし。

ただでさえカッコワリィのに、なんてカッコワリィ…。


内容に関しては、「らしさ」は出せたように思う。

全ては編集のおかげ。

眞﨑先生には感謝しかない。


肝心の再生回数だが、4本全てが同じくらい見られているようだ。

敢えて告知を一切しなかった割には数字が伸びた方かも。


一般受けする内容じゃないし、当然か。

それはこのブログと同じこと。

何よりも知名度がない。


とか思っていたら、『しなさい』ブログに関してお褒めのコメントをいただいていた。

おそらく面識のない先生だと思うが、ありがたい話である。


あまりにもありがたすぎるので、このまま面識ないままが賢明であろう。

出会ったところで百害あって一利なしとは、まさに私のこと。


これはマジ。


とにかく、知っているようで知らないカイロプラクティック

今さら聞けないカイロプラクティック

それらを知ることができるサイト、それが「週刊カイロプラクティック」。


そんな「週刊カイロプラクティック」を是非チェックしていただきたい。

週刊カイロプラクティック

12/06/2022

私を忘れて

話は東京カレッジ・オブ・カイロプラクティック(TCC)の閉校式へと戻る。

途中、27年に及んだ歴史を振り返るところがあった。

まあ、よくある構成である。

 

が、個人的にニヤケてしまう場面があった。

前身となるRMIT大学日本校までの系譜のスライドが映し出された時のこと。

 

そこにはD.D.パーマーの写真があった。

創始者であるから、これは当たり前。

 

そこから矢印で導かれた先にはジョン・ハワードの写真があった。

誰やコイツ??

カイロプラクティック従事者でも知らない人の方が多いのではないだろうか。

 

ハワードはナショナル・カレッジ・オブ・カイロプラクティック(NCC・当時)の初代学長である。

だからナショナルと関係を持たない人の歴史には決して現れる人ではない。

RMITTCCの卒業生でも知らないように思う。

 

それはいい。

面白いのはここから。

 

話はハワードからジョセフ・ジェンシーへ。

ジェンシーは日本のカイロプラクティック発展に尽力してくださった方だから無視はできない。

そこからNCCの系譜をたどりつつRMITへと繋がっていく。

 

ところがである。

D.D.から放たれたもう1本の矢印の先にはアンドリーズ・クレイハンスの写真が!

 

B.J.パーマーの写真がない!!

 

あったのは「クレイハンスはB.J.のお弟子さん」と口頭での一言のみ。

確かに学校の沿革の話だから関係ないっちゃあ、ないよ。

それでもカイロプラクティックの流れを語る上でB.J.をスルーするとは。

 

記憶にはないが、『おおーほっほっほーっ』の声を漏らしてしまった可能性が高い。

しかも、おそらくはニヤケながら、である。

隣に座られていた先生にはご迷惑をおかけしたかもしれない。

 

B.J.は好き嫌いが分かれるカイロプラクターだと思う。

ある人はB.J.を「発展者」と称し崇拝している。

一方でカイロプラクティック「分裂」の元凶として否定する人もいる。

 

私はどちらかと聞かれれば…ここでは明言を避けておく。

理由は、酒が入ってないから。

 

やっぱりさ、カイロプラクティックの話をするなら酒の席で、でしょ。

下戸の先生方には失礼で申し訳ないけど。

 

それはともかく、やっぱりスルーってどうなんだろ。

しかも、ハワード残しのB.J.スルー。


楽しんじゃって周りの反応見るのを怠ってしまったが、皆さんどう思ったのかな。

それとも、何とも思わずスルーできちゃったのか。

 

ああ、そうか。

スルーできちゃうんだな、きっと。

だって、それでも「善し」とされる教育の中にあったわけだから。

 

スルーを気にしないカイロプラクターと、スルーを許さないカイロプラクター。

解りあう日はかなり遠そうな気がする。

 

張り巡らされた厚く頑丈な壁。

ベルリンの壁同様、何かのアクシデントがない限り崩れないのかもしれない。

 

っつーかさ、「そんなんもアリよ」とお互いが認め合えば簡単な話とも思うけどね。

否定するからいがみ合うんだよ。

 

心が狭いなぁ。

 

とか書くと、刃がこっちに向いてきそうだから、この辺で。

11/29/2022

グッバイからはじめよう

20229月、東京カレッジ・オブ・カイロプラクティック(TCC)が閉校した。

前身となるRMIT大学日本校から数えて27年の歴史にその幕を閉じたのだ。

 

104日、その閉校式に参加してきた。

出席者160人強がその年数と卒業生の数からして多いのか少ないのかはビミョーなところ。

 

母校の閉校というのは私にとっては初めてのこと。

それなりの寂しさは感じたものの、悲しみはなかったし涙も出なかった。

周りを見ても泣いている人はいなかったと思う。

 

そりゃそうか。

こちとら卒業式でも泣いてないんだから。

 

その直後に開催された謝恩会。

わざわざ閉校式に出席するんだから謝恩会も皆参加するんだろう。

移動を急かされていたこともあり、さっさと会場移動。

 

ところがこっちの勝手な予想に反し、結構帰られた先生方も多かったようだ。

おかげでまあまあの先生方との再会の機会を逃してしまった。

謝恩会から参加された方々もいたとはいえ、まあ勿体ないこと。

 

それでも十数年ぶりの再会をいくつも重ねることができた。

そして多くの先生から同じことを言われた。

 

「全然変わらないですね」

 

そんなわきゃあねぇ。

当時には見られなかったハゲが確実に進行しているではないか。

 

最初は私の嫌いな社交辞令かと思った。

ただあからさまな社交辞令だけでもなさそうだ。

 

何故か??

思うに、生活環境に変化がないからだろう。

 

一般的に、十数年も経てば生活に何かしらの変化が生じるもの。

結婚したり、子供が産まれたり、離婚したり、独立したりと何かしらあるものだ。

 

私にはそれらがない。

ただ老いが進行しているだけ。

「老い」を普通及び当然と捉えれば、変わってないことになるのかもしれない。

 

同様に言われたことがある。

 

「ブログ書いてますか??

 

以前のブログはコロナ禍にあってから更新していない。

それでも想像以上の人たちからチェックされていたのだと今更ながら初めて気づかされた。

まあ、知りようがないし、知りたいと思ったこともないし。

 

ただ、思うところはいくつかある。

そろそろ吐き出してもいいのかもしれない。

 

だとしたら、あとは吐き出し方だ。

今までと同じでいいものなのか。

 

やはり環境は変えないと何も変わらない。

それは身をもって証明している。

なので発信方法を変えたい。

 

あと、内容も少しライトにしていこうと思う。

リニューアルだからね。

 

それでも元に戻っちゃうかもしれないが。

何せ、変わってないらしいからさ。

 

タイトルも変えよう。

以前のは評判が悪くて気分悪くした人もいたらしいし。

別に気遣うわけではないけど、今の正直な気持ちかな。


ということで、姿形そして場所を変えてのリスタート。

気まぐれ程度のお付き合いでヨロシク。