話は東京カレッジ・オブ・カイロプラクティック(TCC)の閉校式へと戻る。
途中、27年に及んだ歴史を振り返るところがあった。
まあ、よくある構成である。
が、個人的にニヤケてしまう場面があった。
前身となるRMIT大学日本校までの系譜のスライドが映し出された時のこと。
そこにはD.D.パーマーの写真があった。
創始者であるから、これは当たり前。
そこから矢印で導かれた先にはジョン・ハワードの写真があった。
誰やコイツ??
カイロプラクティック従事者でも知らない人の方が多いのではないだろうか。
ハワードはナショナル・カレッジ・オブ・カイロプラクティック(NCC・当時)の初代学長である。
だからナショナルと関係を持たない人の歴史には決して現れる人ではない。
RMITやTCCの卒業生でも知らないように思う。
それはいい。
面白いのはここから。
話はハワードからジョセフ・ジェンシーへ。
ジェンシーは日本のカイロプラクティック発展に尽力してくださった方だから無視はできない。
そこからNCCの系譜をたどりつつRMITへと繋がっていく。
ところがである。
D.D.から放たれたもう1本の矢印の先にはアンドリーズ・クレイハンスの写真が!
B.J.パーマーの写真がない!!
あったのは「クレイハンスはB.J.のお弟子さん」と口頭での一言のみ。
確かに学校の沿革の話だから関係ないっちゃあ、ないよ。
それでもカイロプラクティックの流れを語る上でB.J.をスルーするとは。
記憶にはないが、『おおーほっほっほーっ』の声を漏らしてしまった可能性が高い。
しかも、おそらくはニヤケながら、である。
隣に座られていた先生にはご迷惑をおかけしたかもしれない。
B.J.は好き嫌いが分かれるカイロプラクターだと思う。
ある人はB.J.を「発展者」と称し崇拝している。
一方でカイロプラクティック「分裂」の元凶として否定する人もいる。
私はどちらかと聞かれれば…ここでは明言を避けておく。
理由は、酒が入ってないから。
やっぱりさ、カイロプラクティックの話をするなら酒の席で、でしょ。
下戸の先生方には失礼で申し訳ないけど。
それはともかく、やっぱりスルーってどうなんだろ。
しかも、ハワード残しのB.J.スルー。
楽しんじゃって周りの反応見るのを怠ってしまったが、皆さんどう思ったのかな。
それとも、何とも思わずスルーできちゃったのか。
ああ、そうか。
スルーできちゃうんだな、きっと。
だって、それでも「善し」とされる教育の中にあったわけだから。
スルーを気にしないカイロプラクターと、スルーを許さないカイロプラクター。
解りあう日はかなり遠そうな気がする。
張り巡らされた厚く頑丈な壁。
ベルリンの壁同様、何かのアクシデントがない限り崩れないのかもしれない。
っつーかさ、「そんなんもアリよ」とお互いが認め合えば簡単な話とも思うけどね。
否定するからいがみ合うんだよ。
心が狭いなぁ。
とか書くと、刃がこっちに向いてきそうだから、この辺で。
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