2/07/2023

カイロプラクティックがいっぱい??

RMIT大学日本校では卒業研究が必須とされた。

さまざまな研究がある中、人とつるむのが苦手な私はパソコン1つでできるテーマにした。

 

「東京都内で開業に適している駅前はどこだ??

 

地下鉄を除くJR・私鉄線の駅から半径500メートル以内に「カイロプラクティック」を掲げるオフィスがいくつあるか??

乗降客数やオフィスの通常料金はもちろん、賃貸相場などを基に算出・比較するというもの。

 

カイロプラクティックにしても4年制卒・2年制卒・詳細不明などの経歴で分類した。

400強ある駅について、我ながらよくやったなーと感心する。

 

これらの約15年前のデータと現在とを比較してみるとどうなるのか。

たとえば私の地元でやってみた。

 

当時、「カイロプラクティック」での検索結果が8件。

うち、カイロプラクティックの学校卒によるオフィスが3件だった。

 

今回、検索してみると12件がヒット。

カイロプラクティック学校卒は3件で、前回からの3件がそのまま存在していた。

 

興味深かったのが、その多くが独自のホームページを持っていなかったこと。

『今時ホームページのないオフィスなんてない』という私の勝手な概念が覆された形だ。

 

その分フリーのサイトがいくつもヒットし、それなりに細かいことが書いてある。

しかし、スタッフに関する記載がほとんど見られない。

 

これだと本当にカイロプラクティックをやっているのか判断できない。

カイロプラクティックの勉強をしたのかどうかさえ疑わしい。

 

その割に高評価の口コミがいくつか載っている。

まあ、良くなりゃ何でもいいわけでカイロプラクティック云々は無関係。


当然と言えば当然か。

ま、口コミに関してはまた後日。


やはりカイロプラクティックで検索したのならカイロプラクティックが出てきて欲しい。

こんな当たり前が理想となっているのが今の現状。


ネット環境が進化しているにもかかわらず、現状は未だ「現状」のままだ。

いや、むしろ「退化」かもしれない。


コロナ禍になって数年、近くのカイロプラクティックが看板を外したらしい。

正確には「カイロプラクティック」の看板を外して業態をシフトチェンジするのだろう。


思ったことはただ一つ

『へー、外せるんだ…』


私は外せないな。

だって、カイロプラクティックやってるし。


カイロプラクティックを勉強していないからこそ外せるのか

カイロプラクティックを勉強していたからこそ外せるのか


ディープな話に発展しそうなので、取り敢えずはこの辺りで。

1/31/2023

MEIGEN de カイロプラクティック 2  

プロゴルファー松山英樹サン

「才能は有限 努力は無限」


大学時代、部屋に掲げていたらしい。

20歳そこそこでこんなん考えたこともなかったな。


個人的には、才能も無限だと思っている。

それは「脳の10パーセント神話」なるものに基づいたもの。

「人間は脳の10%あるいはそれ以下の割合しか使っていない」というやつだ。


アインシュタインの著書にも記されているくらい昔から言われている話。

だが、エビデンスはほぼほぼないらしい。


それでも私は都合よく信じていたい。

だから、人生は伸びしろと可能性で溢れている


そんな人生はうまくできている。

若い時はテクニックはないけど体力があった。

今はテクニックはあるけど体力がない。


人間23歳を過ぎれば体力の低下は当たり前。

体力を維持することで可能性が開ける。

そう考えればやる気も起こる。


そこで思い出されるのが、スピードスケート小平奈緒サンの言葉。

「与えられるモノは有限 求めるモノは無限」


これを突き詰めていくと、この言葉に行き着く。

「永遠に生きるかのように学べ 明日死ぬかのように生きろ」


マハトマ・ガンジーの名言として知られているが、ガンジーのそれではないという説もある。

でも名言は名言。


カイロプラクターもそうありたいものだし、そうあるべきもの。

それで食っていけるのであれば、それに越したことはない。


インパルスの板倉俊之サン

「大金って才能とか努力には払われない。知名度に払われるものだから」


とある番組内での発言だが、ネット上ではかなりバズったらしい。

そうよ、やっぱり知名度って大事。


カイロプラクターとしてもそうだし、カイロプラクティックとしても大事。

地道に知名度を上げていくしかないか。


などと、現時点では検索に引っ掛かりもしない知名度ゼロのブログで書いてみる。

意味ねー。

1/24/2023

Fake Star

カイロプラクティックに関する検索はちょくちょくやっている。

仕事柄というより、こんなブログを書いているからかもしれない。

発信する以上、可能な限りのウラは取らないとね。


キーワードによっては様々なオフィスが引っかかってくる。

そのうちのいくつかは何の気なしにクリックしてしまう。


真っ先にチェックするのはプロフィール。

カイロプラクティックの学校を卒業しているのか否か。


学校の名前を記載していないのはNG。

名前を伏せる理由って、ある??


最近はカイロプラクティックを学校で学んでないことを書いている人もいる。

まあ、このケースはアクチベーターがほとんど。

個人的には複雑な思いがする。


あと、学校へは入ってないけどカイロプラクティックの先生に師事し、その後独立というケース。

それってたぶんテクニックしか教わってないよなーって思う。

そこにフィロソフィーあるかい??


一番困るのは、カイロプラクティックを履修したにもかかわらず「整体です」と書いてしまうカイロプラクター。

カイロプラクターなのに「整体やってます」って何なん??


いっそ整体師を名乗ってくれればいいのに。

っつーか、何も考えてないんだろうな。


嫌いだな、そういうの。


と、まあ一部断定的に書いてきたけれども、現実はもっと複雑だ。

専門学校といってもカイロプラクティックだけでなく医療系のそれもある。

この場合、カイロプラクティックは数ある科目の1つに過ぎない。


上記で否定的に書いたが、学校での履修無くとも懸命に勉強し続けている先生もおられる。

その中でカイロプラクティックの団体に属されている方もおられる。


学校のレベルもわからない。

団体の入会基準もわからない。

これでは判断のしようがない。


となると、開業歴も指標の1つとせざるを得ない。

実力無くして生き残れる世界ではないからだ。


一方で、テクニックだけで生き残ってきた先生も少なからず存在する。

フィロソフィーを力でねじ伏せ、「良くなりゃ何でもアリ」のタイプ。

なら『カイロプラクティックじゃなくてもいいじゃん』って思うけど、そこは何故か違うらしい。


カイロプラクティック従事者でも判別が難しい。

それを一般の人々が判別できようはずがない。


全てはカイロプラクターの責任。

それ故カイロプラクター自身で解決しなくてはいけない。


って言い続けて早何年??

あと何年言い続けるんだろうね??