なんだかんだ言われても、年末の風物詩として君臨し続けるNHK紅白歌合戦。
近年は新曲より懐メロが増えた感がある。
その1つとして挙げられるのが、2年前に披露された松平健サンの「マツケンサンバ」。
「マツケンサンバ」はある意味一つの理想形だと思っている。
「マツケンサンバ」と呼んでいるが、正確には「マツケンサンバII」
Iはもちろん、確かIII、IVまであったはず。
でも圧倒的に知られているのはII。
IがあるからIIがある。
ストレートがあるからミキサーがある。
で、圧倒的に知られているのはミキサー。
さ、嫌われたぞ。
ふふ。
閑話休題。
「マツケンサンバ」もツッコミどころの多い曲だと言われている。
「あんなのはサンバじゃない」とか
「なんで金ピカの殿様なんだ??」とか。
ただ、そうした意見を全て超越し、人々を笑顔にしてしまう。
ある意味、力技とも言えよう。
知らず知らずのうちに口ずさんじゃうのは、もう理屈じゃない。
カイロプラクティックにも似たような瞬間がある。
質の良いアジャストメントを受けたとき、思わず笑みが漏れてしまう。
これもまた理屈じゃない。
ちなみに、カイロプラクティックは決して力業ではない。
念のため。
そしてカイロプラクティックもまた似たようなことを言われたりする。
「あんなのはカイロプラクティックじゃない」
カイロプラクターがカイロプラクターにモノ言うところが違うところか。
まあ、カイロプラクターにモノ言う一般人もいないわけではないが…。
ここで1つの考え方を提示してみる。
「価値」x「認知」=「ブーム」
「価値」に関しては今更問うまでもない。
問題視されるのは「認知」の部分だろう。
「認知」の値が大きくなったと感じられた時期もあった。
しかしそれがいつしか頭打ちとなり、体感的には1を割り込むほどにさえ感じる。
「マツケンサンバ」の「認知」は既に定数化されている。
よって「ブーム」こそ起こらないが、定番として存在している。
カイロプラクティックに関して「認知」を上げろと言うのは簡単な話。
結果が出ないのはこれまでのやり方が間違っている所為だろう。
思うに、カイロプラクターがカイロプラクターを「認知」しないのが一番の原因。
カイロプラクターがカイロプラクターを認めなくて、誰が認めるというのか。
まずはここから。
とはいえ、この難しさは先日身をもって知るに至った。
その話はまた後日。
それまでは、そうだな…、踊るか!!
カイロプラクティック・サンバ 何かが起こる~
カイロプラクティック・サンバ 不思議なの~