サッカーワールドカップカタール大会はアルゼンチンの優勝でその幕を閉じた。
日本は今回もベスト16にて敗退。
クロアチア戦は延長戦まで観戦し、PK戦になった時点でテレビを消した。
PK戦は嫌いなので。
こうした大会の後、多くの何様かによって批判が展開されるのはもはや世の常。
そんなモノ胸糞悪くなるだけで何の価値もない。
それとは別に1つの言葉が乱発される。
これも世の常。
それが「努力」。
私の嫌いな言葉。
理由は、あまりにも簡単かつ気軽に用いられてしまうから。
何かにおいて結果が伴わなかったとする。
本人は努力したつもりでも、第三者からは「努力が足りないからだ」と言われてしまう。
一人称の「努力」と三人称の「努力」。
ここに大きな隔たりが生じると苛立ちとモヤモヤが募ってくる。
三人称はコントロールできない。
一人称を極めていくしかない。
その究極を言葉にしたモノがいくつかある。
王貞治・福岡ソフトバンクホークス会長の言葉
「報われない努力があるというなら、それはまだ努力とは呼べない」
ブラジルサッカー界の至宝、ネイマール選手の言葉
「努力したから報われたんじゃない。報われるまで努力したんだ」
「はじめの一歩」鴨川源二会長の言葉
「努力した者が全て報われるとは限らん。
しかし!成功した者は皆すべからく努力しておる!!」
一人称と三人称の「努力」が合致を見たとき、ある種の成功と言えるのかもしれない。
ならば、そこで満足感は得られるのだろうか??
カイロプラクターにはアーティストという側面がある。
アーティストが満足してしまったら、そこでオシマイ。
『アジャストメントは常に最高の未完成』というのは私の有名な言葉。
未完成だけに満足することはない。
一生モンの仕事だ。
よしっ、一生努力を続けよう。
そんな昂ぶりを覚えた人たちに、この言葉を贈る。
アメリカの作家、エルバート・ハバードの言葉
「天才とは、ただ、努力の継続をできる人のことをいう」
さあ、カイロプラクターよ、天才を目指せ!!
私の分までっ!!
言っただろう??
「努力」は嫌いだって⁉
ふふ。