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1/31/2023

MEIGEN de カイロプラクティック 2  

プロゴルファー松山英樹サン

「才能は有限 努力は無限」


大学時代、部屋に掲げていたらしい。

20歳そこそこでこんなん考えたこともなかったな。


個人的には、才能も無限だと思っている。

それは「脳の10パーセント神話」なるものに基づいたもの。

「人間は脳の10%あるいはそれ以下の割合しか使っていない」というやつだ。


アインシュタインの著書にも記されているくらい昔から言われている話。

だが、エビデンスはほぼほぼないらしい。


それでも私は都合よく信じていたい。

だから、人生は伸びしろと可能性で溢れている


そんな人生はうまくできている。

若い時はテクニックはないけど体力があった。

今はテクニックはあるけど体力がない。


人間23歳を過ぎれば体力の低下は当たり前。

体力を維持することで可能性が開ける。

そう考えればやる気も起こる。


そこで思い出されるのが、スピードスケート小平奈緒サンの言葉。

「与えられるモノは有限 求めるモノは無限」


これを突き詰めていくと、この言葉に行き着く。

「永遠に生きるかのように学べ 明日死ぬかのように生きろ」


マハトマ・ガンジーの名言として知られているが、ガンジーのそれではないという説もある。

でも名言は名言。


カイロプラクターもそうありたいものだし、そうあるべきもの。

それで食っていけるのであれば、それに越したことはない。


インパルスの板倉俊之サン

「大金って才能とか努力には払われない。知名度に払われるものだから」


とある番組内での発言だが、ネット上ではかなりバズったらしい。

そうよ、やっぱり知名度って大事。


カイロプラクターとしてもそうだし、カイロプラクティックとしても大事。

地道に知名度を上げていくしかないか。


などと、現時点では検索に引っ掛かりもしない知名度ゼロのブログで書いてみる。

意味ねー。

1/24/2023

Fake Star

カイロプラクティックに関する検索はちょくちょくやっている。

仕事柄というより、こんなブログを書いているからかもしれない。

発信する以上、可能な限りのウラは取らないとね。


キーワードによっては様々なオフィスが引っかかってくる。

そのうちのいくつかは何の気なしにクリックしてしまう。


真っ先にチェックするのはプロフィール。

カイロプラクティックの学校を卒業しているのか否か。


学校の名前を記載していないのはNG。

名前を伏せる理由って、ある??


最近はカイロプラクティックを学校で学んでないことを書いている人もいる。

まあ、このケースはアクチベーターがほとんど。

個人的には複雑な思いがする。


あと、学校へは入ってないけどカイロプラクティックの先生に師事し、その後独立というケース。

それってたぶんテクニックしか教わってないよなーって思う。

そこにフィロソフィーあるかい??


一番困るのは、カイロプラクティックを履修したにもかかわらず「整体です」と書いてしまうカイロプラクター。

カイロプラクターなのに「整体やってます」って何なん??


いっそ整体師を名乗ってくれればいいのに。

っつーか、何も考えてないんだろうな。


嫌いだな、そういうの。


と、まあ一部断定的に書いてきたけれども、現実はもっと複雑だ。

専門学校といってもカイロプラクティックだけでなく医療系のそれもある。

この場合、カイロプラクティックは数ある科目の1つに過ぎない。


上記で否定的に書いたが、学校での履修無くとも懸命に勉強し続けている先生もおられる。

その中でカイロプラクティックの団体に属されている方もおられる。


学校のレベルもわからない。

団体の入会基準もわからない。

これでは判断のしようがない。


となると、開業歴も指標の1つとせざるを得ない。

実力無くして生き残れる世界ではないからだ。


一方で、テクニックだけで生き残ってきた先生も少なからず存在する。

フィロソフィーを力でねじ伏せ、「良くなりゃ何でもアリ」のタイプ。

なら『カイロプラクティックじゃなくてもいいじゃん』って思うけど、そこは何故か違うらしい。


カイロプラクティック従事者でも判別が難しい。

それを一般の人々が判別できようはずがない。


全てはカイロプラクターの責任。

それ故カイロプラクター自身で解決しなくてはいけない。


って言い続けて早何年??

あと何年言い続けるんだろうね??

1/17/2023

Touch You, Tonight

これまで私は学生インターンのお世話になってきた。

そしてほとんどの学生を跳ね返してきた。

それくらいに私の背中は固い。


あまりにしんどいので、先日のセミナーにてアジャストしていただいた。

私は通常その申し訳なさから、滅多に施術してもらわないことにしている。


しかし今回はそんなキレイごとを言ってられないほどにしんどかった。

実に5年ぶりのことだ。


あまりの固さに笑われてしまったが、数分後にはステキなキャビテーション・サウンドを奏でさせていただいた。

数年ぶりに自由を取り戻した背中は、自由すぎてしばらくは変な感じがした。


ただ、久々に受けた良いアジャストメントはキャビテーション以上にうるさかった。

逆に、体験した私は考えに耽り静かになった。


アジャストメントのヒントとして「エネルギーの効率化」で説明することがある。

エネルギーMAXが100%。

パルペーション、コンタクト、サポートなどにエネルギーを使わないことで、残されたエネルギーをスラストに使うことができるという考え方だ。


ただ、これだけでは足りない。

そのことに今更ながら気づかされた。


ストリートファイターのような格闘系ゲームのモニター画面を想像してもらうとわかりやすい。

各プレイヤーの上部にはライフゲージが表示され、攻撃を受けるたびにゲージが減っていく。

相手の攻撃をガードすることライフを守りつつ攻撃を仕掛けるわけだ。


そう、パルペーション、コンタクト、サポートもある種の攻撃なのだ。

よって相手からガードはされてしまう。


ガードを貫通するスラストなどそうコンスタントに打てるものではない。

打てたとしても痛みを伴うことからすべきではない。


特に最初のパルペーションは最も重要なファクターと言えるだろう。

これの出来次第でガードの強さが決まってくるはず。


アジャストメントのキーとなるのは「てこ」と「脱力」。

コンタクトでの脱力はガードを固くさせないための必須要件となるはず。


「はず」の連発は私の実力のなさの証明。

でも、ヘタクソならこれだけでも十分結果が出せるという根拠のない自信がある。


悩んでいる人なら騙されたと思ってやってみるといい。

騙されない「はず」だから。


最後に一言だけ残しておく。

わかる人にはわかるはずだ。


スペランカーをやってるつもりでパルペーションしてくれよ。

1/10/2023

カイロプラクティック・サンバ

なんだかんだ言われても、年末の風物詩として君臨し続けるNHK紅白歌合戦。

近年は新曲より懐メロが増えた感がある。

その1つとして挙げられるのが、2年前に披露された松平健サンの「マツケンサンバ」。


「マツケンサンバ」はある意味一つの理想形だと思っている。


「マツケンサンバ」と呼んでいるが、正確には「マツケンサンバII」

Iはもちろん、確かIII、IVまであったはず。

でも圧倒的に知られているのはII。


IがあるからIIがある。

ストレートがあるからミキサーがある。

で、圧倒的に知られているのはミキサー。


さ、嫌われたぞ。

ふふ。


閑話休題。


「マツケンサンバ」もツッコミどころの多い曲だと言われている。

「あんなのはサンバじゃない」とか

「なんで金ピカの殿様なんだ??」とか。


ただ、そうした意見を全て超越し、人々を笑顔にしてしまう。

ある意味、力技とも言えよう。

知らず知らずのうちに口ずさんじゃうのは、もう理屈じゃない。


カイロプラクティックにも似たような瞬間がある。

質の良いアジャストメントを受けたとき、思わず笑みが漏れてしまう。

これもまた理屈じゃない。


ちなみに、カイロプラクティックは決して力業ではない。

念のため。


そしてカイロプラクティックもまた似たようなことを言われたりする。


「あんなのはカイロプラクティックじゃない」


カイロプラクターがカイロプラクターにモノ言うところが違うところか。

まあ、カイロプラクターにモノ言う一般人もいないわけではないが…。


ここで1つの考え方を提示してみる。


「価値」x「認知」=「ブーム」


「価値」に関しては今更問うまでもない。

問題視されるのは「認知」の部分だろう。


「認知」の値が大きくなったと感じられた時期もあった。

しかしそれがいつしか頭打ちとなり、体感的には1を割り込むほどにさえ感じる。


「マツケンサンバ」の「認知」は既に定数化されている。

よって「ブーム」こそ起こらないが、定番として存在している。


カイロプラクティックに関して「認知」を上げろと言うのは簡単な話。

結果が出ないのはこれまでのやり方が間違っている所為だろう。


思うに、カイロプラクターがカイロプラクターを「認知」しないのが一番の原因。

カイロプラクターがカイロプラクターを認めなくて、誰が認めるというのか。


まずはここから。

とはいえ、この難しさは先日身をもって知るに至った。


その話はまた後日。

それまでは、そうだな…、踊るか!!


カイロプラクティック・サンバ 何かが起こる~

カイロプラクティック・サンバ 不思議なの~

1/03/2023

私を探して

このブログを立ち上げて早1ヶ月強。

未だ誰かからの検索に引っかかった様子は確認できない。


前の『しなさい』ブログも何の告知もしていなかったが1ヶ月も経たないうちに見つけられた。

検索で引っかかることは確認済み。

ということは、誰も検索していないことになる。


エゴサーチをしてみると、私に関する過去のページがまあまあヒットする。

でも、このサイトは出てこない。

本名との関連がないからね、これは当然。


では「モト山本」で検索してみる。

まず漫画家サンらしき方がヒットする。

その後は日本各地のモーターショップの山本サンたちが続く。


思えば、かつてはお笑い芸人サンが真っ先にヒットしていたはず。

知らない間に引退されたのかもしれない。

お笑いは大変よね。


で、『しなさい』ブログはヒットするものの、こちらのブログはヒットしない。

まだまだだね。


も少しヒントを加えた「モト山本 カイロ」で検索してみる。

有難いことに真っ先に出てきたのはウチの研究所のホームページだった。

これはこれでひと安心。


以降、『しなさい』ブログや「週刊カイロプラクティック」のサイトが続く。

あとは全国各地の山本先生のカイロプラクティックや整体のオフィスが連ねている。


そう、同業・異業種の山本サンは多いのよ。

だから今回、ドメインに「.tokyo」を入れてみたんだけど、誰も気づいていないはず。

というより、そもそもヒットしないんだから気づきようがない。


やっぱり知名度は大事よね。

このテの話はそのうちアップする予定。


一方で『そんなに目立ちたくねぇな』という思いもある。

これは『しなさい』ブログの時もそうだった。

で、決まってこう言われる。


「ブログ書いてるのに見られたくないって、どういうことですか??」


一言でいえば、アンビバレントってこと。

よう説明できんし、できたとしても理解されそうな気がしない。


ただ、以前はそうは言いながらも強く主張したい面が少なからずあった。

今はそれも無くなった気がする。


歳を重ねるとはそういうことなのかな。

重たいんだよ、いろいろ。


ふと思い出した「時代おくれ」の一節。



目立たぬように はしゃがぬように

似合わぬことは無理をせず



この歌詞が染みる歳になったということか。

ならば、無理をせずにこのままで。


今年もよろしく。

12/27/2022

2022年の終わりに

今年も無事に終わろうとしている。

コロナはもちろん病気にかからず、アキレス腱も切らずに今日まで来た。


何となくの衝動でリニューアルオープンとなったこのブログ。

何故この忙しい時期に始めたのか??

タイミングは他にいくらでもあっただろうに…。


『しなさい』ブログはそこそこ知られているが、実はそれ以前にもブログを書いていたことがある。

1つのお題で長文を書き殴る、そんなブログ。

思えばあのブログは正月にスタートさせたんだったな。


紅白の1曲1曲に解説をつける内容から始まった。

自分で言うのもなんだが、そこそこ評判が良かったと思う。

何せNHK紅白担当の方からメールをいただけたくらいだったんだから。


紅白ネタは4~5年続けたかな。

そう、あの時は紅白のことを書きたくなったんだ。

だから正月スタートになったわけさ。


今回もやっぱり『書きたくなったから』が一番の理由になるだろう。

あとは周辺からの「書け書け」圧が強く感じられるようになってきたから。

別に圧に屈したわけじゃないけどね。


開設するサイトにはこだわったかな。

前の『しなさい』ブログはいつの間にか変な広告が入るようになってしまった。


うっかりエロったりするとエロエロな広告になってかえってきやがる。

ふざけんなよ。


ということで、無料で広告ナシで、あと独自ドメインが使えるところ。

店舗のサイトや他サイトの間借りも考えた。


が、炎上しない、させない自信がない。

間借りの場合、対処に気を遣うのが面倒に思えた。

んで、却下。


とまあ、いろいろ考えた上でのベストの形がこれである。

しばらくはこのままでいくだろう。


内容に関しては、年内に書くべきお題がいくつかあった。

残念ながら年越しである。


サッカーワールドカップのネタなんて完全に旬を逸するな…。

ま、そんなん誰も気にしねぇか。


そらそうか…。

カイロプラクティックなんてどんだけ旬を逸してきているんかねぇ。


たとえば「旬」イコール「モテ期」だとしたらどうなるのか。

「モテ期」は3回あるとも言われている。

そうなるとおそらく既に2回は見逃していることになるだろう。


これから3回来るとは考えにくいし、もう3回見逃したなんて考えたくもない。

……見逃したっぽいけどな。


なら、もう割り切って前に進むしかない。

年末年始はいいきっかけになる。


結局は「ちゃんとカイロプラクティックしなさい」ってこと。

やることをやって、アンテナも張って、カイロプラクター同士で繋がっていこう。

大切なのは、身勝手に利用しないこと。


では、Happy Holidays!!

12/20/2022

MEIGEN de カイロプラクティック

サッカーワールドカップカタール大会はアルゼンチンの優勝でその幕を閉じた。

日本は今回もベスト16にて敗退。


クロアチア戦は延長戦まで観戦し、PK戦になった時点でテレビを消した。

PK戦は嫌いなので。


こうした大会の後、多くの何様かによって批判が展開されるのはもはや世の常。

そんなモノ胸糞悪くなるだけで何の価値もない。


それとは別に1つの言葉が乱発される。

これも世の常。

 

それが「努力」。


私の嫌いな言葉。

理由は、あまりにも簡単かつ気軽に用いられてしまうから。


何かにおいて結果が伴わなかったとする。

本人は努力したつもりでも、第三者からは「努力が足りないからだ」と言われてしまう。


一人称の「努力」と三人称の「努力」。

ここに大きな隔たりが生じると苛立ちとモヤモヤが募ってくる。


三人称はコントロールできない。

一人称を極めていくしかない。


その究極を言葉にしたモノがいくつかある。


王貞治・福岡ソフトバンクホークス会長の言葉

「報われない努力があるというなら、それはまだ努力とは呼べない」


ブラジルサッカー界の至宝、ネイマール選手の言葉

「努力したから報われたんじゃない。報われるまで努力したんだ」


「はじめの一歩」鴨川源二会長の言葉

「努力した者が全て報われるとは限らん。

 しかし!成功した者は皆すべからく努力しておる!!」


一人称と三人称の「努力」が合致を見たとき、ある種の成功と言えるのかもしれない。

ならば、そこで満足感は得られるのだろうか??


カイロプラクターにはアーティストという側面がある。

アーティストが満足してしまったら、そこでオシマイ。


『アジャストメントは常に最高の未完成』というのは私の有名な言葉。

未完成だけに満足することはない。

一生モンの仕事だ。


よしっ、一生努力を続けよう。

そんな昂ぶりを覚えた人たちに、この言葉を贈る。


アメリカの作家、エルバート・ハバードの言葉

「天才とは、ただ、努力の継続をできる人のことをいう」


さあ、カイロプラクターよ、天才を目指せ!!

私の分までっ!!


言っただろう??

「努力」は嫌いだって⁉


ふふ。

12/13/2022

A Chiropractor on YouTube

大阪の眞﨑龍介先生から依頼を受けた。

YouTubeで展開されている「週刊カイロプラクティック」への出演に関してである。

 

前もって科学新聞社の齋藤サンから話は聞いていた。

詳しいことはわからないまでも断る理由も見つからなそうなので受諾したわけだ。


とはいうものの、どうしたらいいのか??

参考のためバックナンバーを視聴してみた。


2名の先生のを拝見して視聴を停止。

同調できる部分が少なくなく、これ以上見ると思考が引っ張られそうな感覚に陥ったからだ。


同じことを喋っても面白くない。

眞﨑先生からアウトラインとなるテンプレートを送っていただき、それなりの答えを用意しておいた。


眞﨑先生は私が以前書いていた『しなさい』ブログがお気に入りとのことで

「お聞きしたいことがたくさんあるんですよ!!」

とおっしゃっていた。

 

 『なら何となくいけるかな…』


そう思う一方で、5年以上前に書いた内容と違うこと言ったらどうしよう…といった不安がないわけでもなかった。

そんな中、半ばぶっつけ本番で行われた収録は勢いそのままの形で終了。


後日、編集されたビデオを確認させてもらった。

録音された自分の声が奇妙に聞こえるのと同様、動く自分など好んでみたいとは思わない。

が、見ないわけにはいかない。


腹をくくって見たビデオ。

内容以前に気になってしまう点が多過ぎる。


喋り言葉は『だけど』『個人的には』のオンパレード。

身体は終始グラグラ揺れっぱなし。

ただでさえカッコワリィのに、なんてカッコワリィ…。


内容に関しては、「らしさ」は出せたように思う。

全ては編集のおかげ。

眞﨑先生には感謝しかない。


肝心の再生回数だが、4本全てが同じくらい見られているようだ。

敢えて告知を一切しなかった割には数字が伸びた方かも。


一般受けする内容じゃないし、当然か。

それはこのブログと同じこと。

何よりも知名度がない。


とか思っていたら、『しなさい』ブログに関してお褒めのコメントをいただいていた。

おそらく面識のない先生だと思うが、ありがたい話である。


あまりにもありがたすぎるので、このまま面識ないままが賢明であろう。

出会ったところで百害あって一利なしとは、まさに私のこと。


これはマジ。


とにかく、知っているようで知らないカイロプラクティック

今さら聞けないカイロプラクティック

それらを知ることができるサイト、それが「週刊カイロプラクティック」。


そんな「週刊カイロプラクティック」を是非チェックしていただきたい。

週刊カイロプラクティック

12/06/2022

私を忘れて

話は東京カレッジ・オブ・カイロプラクティック(TCC)の閉校式へと戻る。

途中、27年に及んだ歴史を振り返るところがあった。

まあ、よくある構成である。

 

が、個人的にニヤケてしまう場面があった。

前身となるRMIT大学日本校までの系譜のスライドが映し出された時のこと。

 

そこにはD.D.パーマーの写真があった。

創始者であるから、これは当たり前。

 

そこから矢印で導かれた先にはジョン・ハワードの写真があった。

誰やコイツ??

カイロプラクティック従事者でも知らない人の方が多いのではないだろうか。

 

ハワードはナショナル・カレッジ・オブ・カイロプラクティック(NCC・当時)の初代学長である。

だからナショナルと関係を持たない人の歴史には決して現れる人ではない。

RMITTCCの卒業生でも知らないように思う。

 

それはいい。

面白いのはここから。

 

話はハワードからジョセフ・ジェンシーへ。

ジェンシーは日本のカイロプラクティック発展に尽力してくださった方だから無視はできない。

そこからNCCの系譜をたどりつつRMITへと繋がっていく。

 

ところがである。

D.D.から放たれたもう1本の矢印の先にはアンドリーズ・クレイハンスの写真が!

 

B.J.パーマーの写真がない!!

 

あったのは「クレイハンスはB.J.のお弟子さん」と口頭での一言のみ。

確かに学校の沿革の話だから関係ないっちゃあ、ないよ。

それでもカイロプラクティックの流れを語る上でB.J.をスルーするとは。

 

記憶にはないが、『おおーほっほっほーっ』の声を漏らしてしまった可能性が高い。

しかも、おそらくはニヤケながら、である。

隣に座られていた先生にはご迷惑をおかけしたかもしれない。

 

B.J.は好き嫌いが分かれるカイロプラクターだと思う。

ある人はB.J.を「発展者」と称し崇拝している。

一方でカイロプラクティック「分裂」の元凶として否定する人もいる。

 

私はどちらかと聞かれれば…ここでは明言を避けておく。

理由は、酒が入ってないから。

 

やっぱりさ、カイロプラクティックの話をするなら酒の席で、でしょ。

下戸の先生方には失礼で申し訳ないけど。

 

それはともかく、やっぱりスルーってどうなんだろ。

しかも、ハワード残しのB.J.スルー。


楽しんじゃって周りの反応見るのを怠ってしまったが、皆さんどう思ったのかな。

それとも、何とも思わずスルーできちゃったのか。

 

ああ、そうか。

スルーできちゃうんだな、きっと。

だって、それでも「善し」とされる教育の中にあったわけだから。

 

スルーを気にしないカイロプラクターと、スルーを許さないカイロプラクター。

解りあう日はかなり遠そうな気がする。

 

張り巡らされた厚く頑丈な壁。

ベルリンの壁同様、何かのアクシデントがない限り崩れないのかもしれない。

 

っつーかさ、「そんなんもアリよ」とお互いが認め合えば簡単な話とも思うけどね。

否定するからいがみ合うんだよ。

 

心が狭いなぁ。

 

とか書くと、刃がこっちに向いてきそうだから、この辺で。

11/29/2022

グッバイからはじめよう

20229月、東京カレッジ・オブ・カイロプラクティック(TCC)が閉校した。

前身となるRMIT大学日本校から数えて27年の歴史にその幕を閉じたのだ。

 

104日、その閉校式に参加してきた。

出席者160人強がその年数と卒業生の数からして多いのか少ないのかはビミョーなところ。

 

母校の閉校というのは私にとっては初めてのこと。

それなりの寂しさは感じたものの、悲しみはなかったし涙も出なかった。

周りを見ても泣いている人はいなかったと思う。

 

そりゃそうか。

こちとら卒業式でも泣いてないんだから。

 

その直後に開催された謝恩会。

わざわざ閉校式に出席するんだから謝恩会も皆参加するんだろう。

移動を急かされていたこともあり、さっさと会場移動。

 

ところがこっちの勝手な予想に反し、結構帰られた先生方も多かったようだ。

おかげでまあまあの先生方との再会の機会を逃してしまった。

謝恩会から参加された方々もいたとはいえ、まあ勿体ないこと。

 

それでも十数年ぶりの再会をいくつも重ねることができた。

そして多くの先生から同じことを言われた。

 

「全然変わらないですね」

 

そんなわきゃあねぇ。

当時には見られなかったハゲが確実に進行しているではないか。

 

最初は私の嫌いな社交辞令かと思った。

ただあからさまな社交辞令だけでもなさそうだ。

 

何故か??

思うに、生活環境に変化がないからだろう。

 

一般的に、十数年も経てば生活に何かしらの変化が生じるもの。

結婚したり、子供が産まれたり、離婚したり、独立したりと何かしらあるものだ。

 

私にはそれらがない。

ただ老いが進行しているだけ。

「老い」を普通及び当然と捉えれば、変わってないことになるのかもしれない。

 

同様に言われたことがある。

 

「ブログ書いてますか??

 

以前のブログはコロナ禍にあってから更新していない。

それでも想像以上の人たちからチェックされていたのだと今更ながら初めて気づかされた。

まあ、知りようがないし、知りたいと思ったこともないし。

 

ただ、思うところはいくつかある。

そろそろ吐き出してもいいのかもしれない。

 

だとしたら、あとは吐き出し方だ。

今までと同じでいいものなのか。

 

やはり環境は変えないと何も変わらない。

それは身をもって証明している。

なので発信方法を変えたい。

 

あと、内容も少しライトにしていこうと思う。

リニューアルだからね。

 

それでも元に戻っちゃうかもしれないが。

何せ、変わってないらしいからさ。

 

タイトルも変えよう。

以前のは評判が悪くて気分悪くした人もいたらしいし。

別に気遣うわけではないけど、今の正直な気持ちかな。


ということで、姿形そして場所を変えてのリスタート。

気まぐれ程度のお付き合いでヨロシク。